2005年8月の日記

 

子どもが読める大人の本

 
長い夏休みもようやく終わり。下の子も小学校のプール検定を受かってくれて、ほっとしました。

この子の夏休みのおねだりは、ふたつでした。「一緒にプールに行って泳ぎを教えて欲しい」と「『星になった少年』に連れて行って欲しい」というもので、先週末の土日に、2つともすべりこみでクリアーしたところです。

夏休み読書で今年この子に買ってあげてよかったのは、さくらももこエッセイ集の数々。春頃から私の持っている酒井順子さんなど面白がるようになったので「こんなのもあるよ」とすすめたところ、かなりはまっています。TSUTAYAでたくさん手に入るので、便利。

親子で楽しめる本としてうちで人気が出たものは、このほかに『プチ哲学』があります。今は懐かしき団子三兄弟を描いた佐藤雅彦氏による感動的な哲学絵本。とっても可愛い。これは上の子と私と、偶然にふたりとも買ってしまった唯一の本でもあります。下の子は、この絵本を写すのが大好きです。

他に、星新一は、親子で読める本の定番なのかな。トットちゃんも忘れてはいけないし。本って子どもの本はおもしろいものが少ないので、大人の本だろうが何だろうが、誰が読んでも絶対おもしろい本を子どもに読ませるのがいいようです‥‥というか、親が面白い本を持っていれば、読む子は勝手に抜いて読みますな‥‥で、読まない子は読まないですな(子どもが3人いると、このように悟ってきます)。<>2005/08/30


 

うちに仏壇がない理由

 
帰京する寸前、私は京都駅に近い和ロウソクのお店で和ロウソクを買いました。でも、欲しかったから買っただけで、うちにはお仏壇はないのです。私が育ったうちにも、父は長男でしたが仏壇はありませんでした。

ひとりで暮らしていた父方のおばあちゃんが95才で亡くなった時、持っていたお仏壇を父は引き取ったのです。でも、お線香のにおいが好きでなかったし、家が狭かったこともあって、母に「押入にでも入れておけ」と言ったのでした。

おばあちゃんの遺影も、壁に掛けたがりませんでした。「写真を見ていると、自分の中のその人の存在が写真になってしまう」と言うのです。いつも同じ顔をしている紙に過ぎない写真より自分の中の母親を大切にしたい、という父の気持ちはよくわかりました。

そんなわけで、私が二十歳のころ父が死んだときも、線香嫌いで「戒名など意味がない」と言っていた人にそういうこともできなくて、うちは、このときも仏壇を設けず、写真も飾りませんでした。

「蘭ちゃんち、不思議やなあ。お父さん死んだのに、どうして仏壇ないの」帰京する日、姑と京都駅のそばでお茶を飲んだとき、ふと、そんな話になりました。

そう言う風に理由を問われれば父の話をするしかないのですが、また改めて、父のあの言葉の意味を考えてみたい気がする、そんな旅の終わりでした。父は大正時代の美濃の大きな家で育った人なので、仏教の中で育ったに違いないのです。

でも、あれが、父の考えた、故人とのつきあい方だった。誰にも型にはめられない思い出だけを、ひとりそっと大切にすること。決して仏壇や戒名やその他の形式ではなかったのです。

帰った夜は、蝉が夜中まで鳴いていました。ああ、まだ夏なの?お盆は終わったのに?と思っていたら、次の夜、もう蝉は鳴かなかったのです。そして、小さな秋の虫の声が聞こえ、それが毎晩、クレッシェンドしていきます。<>2005/08/22


 

送り火

 
京都では南禅寺、建仁寺などの禅寺を回り、町屋をレンタルし一泊。レンタル主は古いお米屋さんで、食事はつかないけれどお米と「美人ぬか」という洗顔用の米ぬかがつきます。キッチンに鍋釜はあり、錦小路などでお総菜を買い物して気ままに安く京都滞在をするにはいい感じです。

奈良では、何年か前から奈良公園一帯で「燈火会」というイベントをしていて、公園一帯が夕方からロウソクの灯った筒でいっぱいになるのですが、これに、東大寺の万燈供養会の日に行ってしまいました。

火灯し頃にはちょうど奈良の古い町並みが一番きれいに残っている「ならまち」にいて、とてもいい雰囲気。そこから猿沢の池で奈良の大文字焼き(京都と一日ずらして奈良でもするのです)を待って陣取る人たちの間を抜け、興福寺を経て東大寺を目指します。「燈火会」ボランティアの人たちがいっぱい出て、おびただしい数のロウソクを点火していました。

大仏殿にはちょうど大仏さまの顔が見える位置に窓があるのですが、この日とお正月だけはそれが開きます。遠くから真正面に、火の明かりの中で見る大仏の姿は、う、う、30分以上も並んで入ってすごく大変だったのですが、達成感がありました。イマジネーションを駆使して開眼の時の世紀のパーティーを想像したり、津島祐子さんの『ナラ・レポート』を思い出したり。

さらにその翌日には、REBORN宮下さんファミリーと五山送り火を見ました。もはや、お祭り野郎です。京都の北、とっても素敵なデザイン書の本屋さんが一件ぽつんとあかりをともしていた、静かな松ヶ崎の町。そこに浮かび上がった送り火の明るさ、松明の燃えるにおい、もうもうとあがる煙‥‥その場でしか味わえないものでした。

大文字焼きがなぜ大の字なのかはまだわからないのですが、インドの古い哲学には「大(マハット)」というものがあるようです。これは、五大要素である地、水、火、風、空が作る世界を超えた地点で現れるもので、その上にある光だけの世界の手前だそうです。人体でいうと、眉間のチャクラに当たるそうです。

本当の説はわかりませんが(もしかしたら、もう誰もわからないかも)、この考えでは、大の字は、あの世の人とこの世の人がつながるにはぴったりのポイントですね。<>2005/08/16


 

法隆寺と薬師寺

 
関西旅行は、旅立ちの前の日記がかっこよすぎたので少しプレッシャーでしたが、やっぱり、背伸びはするものか?夫は奈良出身。それで帰省として関西へ行ったのですが、今年はちょっとがんばりました。

初日から法隆寺、薬師寺を訪ねました。最後の宮大工棟梁と言われた西岡常一さんの本『木にまなべー法隆寺・薬師寺の美』をガイドブックにして、西岡さんが力を入れて書いていた塔、そしてエンタシスの柱と飛鳥のしなやかな木組みが美しい回廊を心に刻みました。

私は関西には親戚が多いので法隆寺は数え切れないほど来ているのですが、今回西岡さんのガイドのおかげで一歩踏み込めて見られたと思います。ここの五重塔は、ぜひ、少し離れて見上げてみてください。大きい、本当に悠々と大きいです。大きな鳥が降り立ったようですよ。この塔は階層によって寸法の取り方をわずかにずらしてあり、目の錯覚を利用して大きさを出しているそうです。鎌倉の若宮大路と同じです。

帰りがけ、西岡さんたち法隆寺を支えてきた職人さんが住んできた西里の町を少し歩きました。ここは法隆寺のすぐ隣にある道の細い一角で、西岡さんはこの町で、やはり宮大工の棟梁だったお父さんにさんざんこづかれながら技と心をたたきこまれたようです。

その西里の、竹藪が見え隠れする道筋を行くと、不意に、液晶大画面のテレビがそこに置いてあるような光景に出会います。それは法隆寺に横から入る門なのですが、まるで里の空気を切り開いて作った異空間の額縁のようでした。

こんな感じが、お寺の「結界」なのでしょうか。黒い日傘を差した女性が、スッと門の中へ入っていきました。すると、その人は別の世界の人になってしまうのでした。

続いて行った薬師寺はなぜかふたつの塔があったというお寺ですが、長い間西の方が失われたままでした。西岡さんは、法隆寺五重塔の修理で学んだことをこの西塔再建に注ぎ込みました。

朱に塗られたこの新しい塔は、730年に建ったという黒い東塔とのバランスの中で、お寺が決して過去の財産を守っているところではなく現役の存在なんだということを教えてくれます。現代人もやるなあ、今、今と現在進行形でがんばっている人が一番だな、と勇気がもらえる「再生(=REBORNかな?)」を感じさせるお寺でした。

帰りは、遠い昔に国のメインストリートだった国道を飛鳥方面に走りました。ひたすら直進なので睡魔が襲います。道路沿いには、行けども続くロードサイドショップ。経営不振なら、数年で消えてしまう。これが現代の時間の流れ方です。

そんな時代にも、千年、二千年という時間でものを考えて仕事をしていた西岡さん。西岡さんたちの仕事は、作るものが千年持たなあかんのです。薬師寺に作った西塔が、千年後に、東塔より早く沈んだりしてはいかんのです。そういう時間の流れ方で勝負している人は、どれだけ発想が違うのだろう。この日は西岡さんデーでした。<>2005/08/10


 

元ちとせ「死んだ女の子」

 
夏は刻々とその顔を変える。7月の夏と8月の夏は大きく違う。8月の夏は、日本人にとって魂の季節だ。

日本人は酷暑の中、一年のうちでもっともよく祈る。古くからそもそもお盆というものがあり、そして敗戦後には原爆投下と終戦の記念日がそれに加わっている。

おとといの夜に放映されたテレビ朝日の番組で、元ちとせが出産後初めて出てきて歌った歌はもの凄かった。ピアノは坂本龍一。原爆ドームの前で歌われた「死んだ女の子」というその歌は、あの日炎に呑まれた7歳の女の子の声である。

やはり、出産という体験は女性の魂を変えるのだと思った。地の底から聞こえてくるような、今なお広島にいる女の子の魂が憑いたような歌声だった。それは聞く人を反戦の思いに駆らせるというより、それすら越え、何も考えられないほら穴の中へ落とした。

酷暑の中で、祈りの火が全国で焚かれる8月。今年の夏休みは、これから、奈良、京都へ行く。お盆を迎える火、送る火をたくさん見てきたい。古都の火を見に、西へ。<>2005/08/07


 

たまごっちライフ

 
小学校の女の子の間では、この1〜2年だろうか、たまごっちがずっとブームなのである。

10年くらい前に生まれて大いに流行ったたまごっち。しかし、前回は爆発的ブームの去った後、メーカーには在庫の山が残った。製造しすぎて、結果的には大赤字だったという。

今流行っているたまごっちはそのリベンジ。ターゲットを小学生に限定し、友達のたまごっちと結婚させられる通信機能を持たせ、マスコミにも顔を出さずに静かな長命ブームを演出しているのだ。

それにしてもあっという間に売り切れにするのが昨今の人気おもちゃの特徴で、私のようにぼーっとした親はいつまでも買ってあげられない。それで、ネットでプレミアムのついたものをマニアから購入せねばならなくなった。情けないけど‥‥。春、驚くほど親切だったマニア氏から買ったうちのたまごっちは、いつも娘の首から下がっている。

最初の子の名前は「ふうえあさ」だった。名前の入力方法がわからなかった娘が偶然につけてしまった名前。意図しては決して生まれないすごい名前だったが、ふうえあさは、2日で、娘が学校へ行っている間に死んでしまった。

子供が学校へ行く間は、おかあさんが世話をしているというご家庭があったりして、私も頼まれたのだけど、ばたばた仕事しているうちに「ハッ」と気づいて見たら、時すでに遅しだった。お世話とは病気になったら薬をあげたり、うんちを流してあげたりするのだけど、まだ生まれてまもなく幼かったふうえあさは、特に手がかかるのだった。

以来何度となく小さいうちに何人かの子を失ってしまったのだけど、思いあまって「しぬな」と名付けた子のとき、コツがわかってきて繁殖が始まった。亡くなった子たちはご先祖さまとなり、子孫のピンチの時に救ってくれたりする。ただし、お墓参りを頻繁にしていれば、だ。仏教教育もしてしまうたまごっち。

子供が生まれると、2日目の夜12時に「親離れ」というのをする。親離れの瞬間というのを見たことがないので、きのう、見ようということになった。しぬなのひい孫だか、ひいひい孫だかが親離れする。

夜中の12時、画面には小さな寝息と大きな寝息「Z」が出ているだけ。それが、子供を見ている親と子供の寝ているところに変わり、しばらくすると親が画面の上へ昇っていって消えていった。うーん、ちょっとあっけなかったかな。子供の頭くらい撫でていって欲しかったかな。

「明日の朝、この子泣いてるよ」と娘。「親離れしたあとの朝は、いつも泣いてるんだ。目が覚めたら誰もいないんだもん」そうなんだ。やさしいおもちゃ。たまごっち。<>2005/8/03

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