2010年3月の日記

 

リサイクル・ラッキー

 
充実した春の連休でした。連休初日は、ずっと車に積んで持ち歩いていたリサイクル品をついに市のリサイクル事務所に持っていくことができました(近所のリサイクルショップに持っていこうと思っていたのに、行くといっつもあいていなかったのです)。

すると、その事務所で、まさにこんなのを購入しようと思っていた!というデスクを発見。メインの机の横に置いて、プリンターを置いたり、最近少しテープ起こしを手伝ってくれる娘がすわったりできるような横長のシンプルなデスクが欲しかったのですがまさにジャストなお品物でした。家で組み立てようとするとコクヨ製だとわかりました。

おかげで仕事部屋の床を占領していた紙の山にも手が着き、整理することができました。新しい本の追い込み体制に・・・やっとなりました。一時はもう捨ててしまおうかと思ったリサイクル品でしたが、ひと粘りしてよかったー。リサイクルの神様が微笑んでくれました。家具のリサイクル品を買ったのはものすごく久しぶりです。学生時代は救世軍のバザーなどに出かけて外国人家庭から出る不思議なリサイクル家具に凝ったこともありましたが。

リサイクル事務所のまわりにはまだ農地がけっこう残っています。直販所で一束100円の葉菜を買い込みました。うち、うさぎがいるんです、と言ったら名称不明の菜っぱイロイロや小さなブロッコリーをたくさんおまけしていただき、なんだかうれしく、とってものんびりと、暖かい春風の中を帰りました。

さてさて、その春風はますます強くなりまして・・・この夜は、地方から飛んでくる先生とインタビューの約束をしていたので出かけたのですが、フライトが遅れ、23時開始の取材となりました。お疲れの所、ご協力をいただいて感謝です。

これも今年の春風の思い出になりそうです。最終電車に遅れまいと走ったりしたら汗だくになったりして、ホントにもう春です。<>2010/03/20


 

ママ受験生は大変

 
先日の日記で産んだ女性が助産師になるということを書きましたが、それをやり遂げた方にインタビューをする機会がありました。ファン助産院のイメジェリークラスへ見学に来て頂いたこの方は、第一子を高齢出産で出産されたあと、看護師から助産師になりました。

受験勉強は、時間を作り出すことが本当に大変だったそうです。時間と、そして勉強する場所がない! これは、私も家で仕事をしている人間なのでありありと思い出されました。子どもが小さいとき、同居していた母が精神的に不安定になってきたとき、家にいるのは仕事で外に出ている時間の何倍も、何十倍も大変でした。

結局、誰かが家を引き受けてくれる隙間を見つけて「逃亡」します。ところが、逃亡する先がありません。カフェやファミレスを流浪したりしました。最初の本の『お産選びマニュアル』はかなりの部分をファミレスで、時々お店変えたり、気を遣いながら書きました。

助産師学校を受けるお母さんたちも同じ境遇です。夜は行くところがなくなって駅や街頭のベンチでも勉強したという彼女。日本は、なぜ大人を勉強させてくれるところがないのでしょう。非常に納得できないことに、図書館の本を読む以外の目的では座るべからず、と堂々と書いてある公立図書館まであります。

学生さんだって、勉強に集中できる場所がほしいはずです。学力低下というならば、世の中には勉強したくても勉強する環境がない人がたくさんいることに気がついて欲しいです。

もうひとつ言えば、日本の高等教育の学費はもうクレージーとしか言いようがありません。最も学費のかからない小・中学校の子どもたちや、私立はかけ離れて安い公立高校が無償化されていく「ばらまき」には、中学生の親ながら大きないらだちを感じます。

大学や専門学校のレベルでは、医師や助産師になる学校も含めて、学費のために夢を断念したり、退学したりする子たち、社会人たちがいることをどうして誰も何も言わないのでしょうか。高等教育が今の日本の生活を支えているのに、いまだに個人が勝手に欲しがる贅沢品とでも考えられているのでしょうか。<>2010/03/15


 

上田市産院存続の責任

 
『安全なお産、安心なお産』の内容を話してほしい、と長野県上田市の育児グループ「お産育児ままネットワーク パム」からお申し出をいただき、3月2日に行ってきました。上田市産院という「赤ちゃんにやさしい病院」が大学病院の医師引き上げにより閉院となりかけ、存続のための署名運動が起きたところです。

今回呼んでくださった方たちは、かつて、その署名運動の中心でがんばった女性たちです。上田のお産事情には、その後いろいろなことがありました。二次施設であった長野病院から昭和大学が産科医を引き上げると言うことが起き、上田の妊産婦さんは二次医療が近隣にないと言う不安に状態に陥っています。

その一方で、上田市産院は長野病院の隣接地に移転、新築が決まっています。これは上田市の署名運動として最大であったとともいわれる母親たちの運動が市政を動かした結果と考えられます。

ここで上田市産院が本当に発展するために、そして上田市産院で産む、産まないに関わらずこの地域のお産全体が二次、三次医療にも守られているという安全性を確保するために、今、署名運動のOB女性たちが動き続けています。

私が話しに行って上田以外の地域の事情や解決案、学会や国の雰囲気などを紹介することで新しい発想を起こしてもらえたら。そんな気持ちで行きました。とてもうれしいことに上田の開業の先生も来場してくださり、皆さんの手作りケーキや名産のりんごなど囲みながらのディスカッションタイムに、上田がおかれている現実についてわかりやすく伝えてくださいました。

上田には、これで5回目くらいでしょうか。定点取材なのか、ご縁なのか。

女性たちも本当に息長く、がんばっています。「産院を存続させた責任があるんです」パムの斉藤さんのこの言葉には、署名に関わった女性たちみんなの気持ちがよく表れていると思いました。

この日、助産師になることを本気で考えていることをカミングアウトしたお母さんがひとりいました。市民から産科医療の担い手を出していくことは絶対に大切です。

「あの時、ママたちが上田市産院を守ってくれた」と次世代から言われるようになるといいですね。私はきっとそうなると、上田の女性や医師の方々を信じています。<>2010/03/14


 

『きみにあいたい』のこと

 
前回の、あの反省は一体何だったのか。と政治家に詰め寄るように自分に詰め寄りたい日記の空白でした。時々来て頂いていた方には誠に申し訳ないことをいたしました。もう今年も4分の1が終わろうとしております。

今年は今まで何をしてきたかと言いますと、年明けに、まず『きみにあいたい−あかりが生きた239日、そして12時間』という講談社文庫の解説を書かせて頂きました。あかりちゃんはシスティックヒグローマという予後の大変厳しい病気を妊娠初期の超音波検査で胎児診断された赤ちゃんです。多くの方が中絶としう選択をするような大変な病気なのですが、お母さんのsamoさんはぎりぎりまで生存の可能性にかけることを決めて、papaと共にその記録をブログに綴り始めました。この本は、その文庫化です。

超音波検査の発達で、胎児の病気が妊娠のごく初期からわかることが増えました。それは決して少なくはないハイリスク妊婦さんの妊娠ライフを大きく塗り替え倫理問題ともなっています。しかしsamoさん夫婦のブログは「こうあらねばならぬ」というものがなく、親としての素直な気持ちを綴っていきます。

samoさんご夫婦には、編集者さんに頼んでお会いしに行きました。駅前でお昼ご飯一緒に食べました。samoさんは次のお子さんの予定帝王切開を間近に控えていらっしゃってとても大きいお腹をしていました。解説を入稿したとき、帝王切開が無事に終わったというニュースをもらい、本当にほっとしました。ハイリスクの妊婦さんのお産は、本当に命がけです。そういうお産もたくさんあるのだということは忘れたくありません。

ブログはとても読みやすいので、私が「読みなさい」と言ったわけではないのに、いつの間にか家族中で読んでいて、まだ生まれていない赤ちゃんに対するsamoさんの愛情について話し合ったりしています。<>2010/03/14

コメントは受け付けていません。