2015年7月の日記

若い先生たちの活躍

3007月26日、社会創発塾医療イベント「医療を身近に〜胎児医療という選択を知り、安心して妊娠・子育てするために必要なことを考えよう〜」に行く。
林伸彦先生の講演は冒頭の「生まれつきの病気=治らない病気ではない」にはじまり、中絶問題にも踏み込みつつ実にシンプルな伝わる言葉が一杯、一般の人フレンドリーな工夫がいっぱいでとてもすばらしかったです!
林先生も主宰者の方たちも、皆さんほぼ私の長女と同年代。若い方たちにかなり大きな期待を感じてしまったすがすがしい1日でした。<>2015/07/28


路上で発見

299なにやらすてきな石像を馬喰横山駅付近で発見しました。本当に授乳しているお母さんがひとりすわっているようで、ビル街の真ん中にふわりと不思議ゾーンを作り出していました。<>2015/07/27
298<>298.jpg<>284<>222<>出版記念おしゃべり会<>REBORNスタッフが中心になって、『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』(朝日新書)出版記念のおしゃべり会&交流会、そして飲み会を横浜・Umiのいえで開いてくれました。
出生前診断をまんなかに、母親、医療、行政、保育、市民活動、法律、アートそれぞれの立場の方が日頃の思いを話しました。企画して下さった方、お暑い中来て下さった方、ありがとうございました!
Umiの家は初めての専門家の方も来て下さったし、遠くからメッセージくださった方も心から感謝です。両手で抱えるようなお花もいただき、酔っ払いつつお花をしっかと抱いて夜中に横浜から帰宅しました。<>2015/07/26


変わらずそこにあり続けたもの

29730年以上前と変わらない「バットマンにテーマ」が鳴り出したときの衝撃は、いまだに言葉にすることができません。
独身時代に音楽カメラマンをしていたとき一番たくさん撮っていたシーナ&ザ・ロケッツ。iPhoneとiPhoneほども撮れないポケットカメラしか持っていない今の私ですが、撮りました。ずっとそこに在り続けてくれた、ひたすらのひとつの音楽を磨き続けてきた奇跡のバンド、シーナ&ザ・ロケッツ。福生のライブハウス「UZU」も、もう入ったとたんに「何だろうここは?!」と思ってしまう居心地の良い空気が流れているところ。立川にベースがあった時代を今に伝えるモニュメントのひとつです。

2015.7.23 福生UZU シーナ&ロケッツ 47ROKKET RIDE TOUR


障害児保育「アニー」の見学

昨日、日本初の障害児訪問保育「アニー」の訪問保育を訪問先のご家庭で見学させていただきました。
NICUに長く入院していた赤ちゃんが特別なケアが必要な状態で退院してくると、お母さんは上の子のための外出さえままならない状態になりがち。
そこを助けてくれるアニーの保育は、研修を受け、その子と仲良くなった保育士さんが、最長1日8時間も、自宅に来て遊んでくれます。訪問看護師さんとも連携しながら、吸引や胃瘻などが必要なお子さんをみてくれるのです。訪問看護やレスパイトとも違い、お母さんは、希望すれば、復職も可能になります。
今回私は「訪問看護と介護」(医学書院)の他の方の取材に同行させて頂きました。
『出生前診断』の取材で、赤ちゃんの障害が不安な女性たちがみんな「子どもに障害があったら仕事なんかできないでしょう」と口をそろえていたからです。そういう方には、当時知ったばかりの「フローレンスさんが障害児保育を始めるらしい」というニュースを伝えていましたが、それを聞いただけで、表情ががらりと変わった方もいました。お母さんがしっかり自分自身であり続けると言うことは、子どもがどのような状態で生まれたかにかかわらず大切なことだし、子どもにも必要なことだと思います。
関心がおありの方は、ぜひアニーのサイトをご覧ください。
http://annie-hoiku.jp/
そして、保育士さんを熱く募集中なので、意欲のある方が周りにいらしたらぜひお声かけを。まだ、きわめて少数の人しか受け入れができていないそうですが、こうした保育にチャレンジできる保育士さんがたくさん現れることが拡大へのひとつの鍵になるそうです。<>2015/07/22


国際会議と横浜市の次世代育成事業

2957月20日、第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会プレコンとして、開催地の横浜市と共同の次世代育成事業「これからの日本で子どもを産むということ」というタイトルの講演しました。さすがに国際的な大ホールの音響は素晴らしく、ものすごく話しやすくて驚きました。
対象は中学生、高校生。市内の学校全体でちらしが配布され、どなたでも会場のパシフィコ横浜に来て頂ければ無料で入場していただけるという仕組みでした。学会に来た助産師さんも合わせて全部で800名ほどの方が来て下さったようです。
今、みんなの少し先を歩いている20代、30代、40代の女性に晩産化というとても大きな変化が起きているんだよ、ということをしっかりとお伝えしました。助産師さんがご自分の娘さんを連れてきたらたくさんノートを取りながら聞いていた、聞いたことがない話ばかりで来てよかた!と言っていた等の声があとから届いて大きなやりがいを感じました。
本日以降3日間、全国及び全アジア太平洋地域から助産師さんが集結する横浜へ、ぜひお出かけ下さい。

第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会
http://www.icmaprc2015.org/<>2015/07/20


高齢出産は人生後半の健康につながる

294オレンジページ からだの本」で再び妊娠したい人のための企画やっています。全米18000名の看護師さんが協力したハーバード大学の「看護師健康調査」のこと、妊娠しやすくなる魔法の食べ物やサプリはありませんよ!、ということなどを紹介。今、日本でインターネットや書店にあふれている不妊治療の情報があまりにもビジネスになっていることをどれだけの人が気付いてるでしょうか・・・。
京都に、以前からお会いしたかった志馬クリニック四条烏丸院長・志馬千佳先生もお訪ねすることができました。嬉しいことに志馬先生は私の『卵子老化の真実』(文春新書)をたくさんアンダーラインを引きながら読んでくださっていて「特に、ここですよね!」と示していただいたのは、高齢出産は養生への意識が高まることで人生後半の健康につながる、という部分。そう!そこは本当に肝なんですよね。私たちは女性をおどすために年齢の話をしてはいけなくて、すでに高齢妊娠世代となった女性にはしっかりとそのチャンスをつかんでほしいと思っています。
しかし、クリニックに流れるほのかな生薬の香りにうっとりしながらも、私は高齢出産後18年もの歳月を経て当時得た気づきを忘れかけていたわれとわが身について反省・・・。
クリニックのある京都の四条通は来週の祇園祭を控えていい雰囲気になっていました。松田道雄の若いときの随筆に宵山の盛り上がりと人が引けていく気配を遠くに感じながら夜勤の夜が更けてゆくという情緒あるくだりがあり、それを思い出したりしながら帰りました。<>2015/07/10


松田道雄論の骨格を組む

293寝ても覚めても松田道雄の本・・・に可能な限り近づけて、ようやくこの人の全体が像を結んできた。

京都の町中で天真爛漫に育った少年は文学好きから三高時代マルクス主義という「信仰」を持ち、友人は投獄され、みずからも特高に追われる身となる。しかし戦後に晴れて現実の共産主義国家に触れることになると直ちにいたく失望して虚無主義に。

しかし松田道雄は医師であることが幸運だったと自分で何度か書いている。医師であることで、京都の最下層の人々がやってくる結核の診療所で診断基準を確立し、厚生省が注目するような予防のプランを自主的に作成することで理想をいくらかは実現できていると感じることができた。

そして戦後は代々の気質から誰にも仕えない開業医となり、子どもという弱者のために闘った。保険点数のための過剰医療を徹底的に拒む自由診療の小児科医となったが、それで生計を立てるためには、文才を生かして育児書を書く必要があった。

折しも小さい子どもを抱える母親たちは都市化、核家族化、受験戦争激化の中で、軍国主義的なドイツ育児の流れから来る時間決め授乳、添い寝の禁止、離乳食の早期開始、家にいて子育てに専念することのすすめなどにより現代に続く不安な子育てを始めたところ。

松田道雄の育児指導の武器は、恩師や父親から受け継いだ頑固なまでに丁寧な観察と問診が培った臨床体験、そしてなんといっても漢籍と六カ国語を読みこなす語学力と並外れた読書力であり、その生涯の蔵書の数は書籍16,643冊、和綴じの書物358冊,雑誌が17,000冊に上った。

当時の母親たちが当時首っ引きで読んでいたのは、小児科医が書いた、気候も文化も大きく違う西洋式育児の引き写しだった。それは母から娘へ、またその娘へと伝えてきた母乳育児の知恵を、高度成長時代、ずたずたに破壊して、粉ミルクと密室育児の全盛時代を作りあげた。

松田道雄は今日でいうEBMの実践に撤し(毎日午後は海外の医学雑誌を読んでいたという)、年長の育児に熟練した女性の話も聞き取り、日本を子ども天国と言ったベルツやオルコットが書き残したようなのびのびとした「日本式育児」を提唱、その上に共働きや子どもに自由に遊べる空間がなくなったことを考慮して、母親の就労に関わりなくどの子にも保育園での集団育児が大切であると強調。保育園に、これほど発達上の期待をかけた人はいないだろう。

『育児の百科』は、根気の要る小児科診察ができなくなってきたと感じた60歳寸前の松田道雄が、これからは書物を好きなだけ読んで暮らしたいとみずから企画した。内容は、親たちを振り回している「育児指導」へのアンチテーゼ。その発売を知らせるパンフレットは当時の小児科の権威たちへの挑戦状だった。この本は昭和の大ベストセラーとなった。

「ともかくえばっているものがきらいなのだ」とも書いている松田道雄は反骨の人だった。しかし、それは、ものごとの価値は自分の頭で考えよというだけで、最後まで虚無主義者でもあった松田道雄の著作には勝ちや負けはなく、どこか心地の良い影があり色香がある。戦時中、押し寄せる結核患者たちに毎日死の宣告を行い、解剖をしてという日々の中でも、海女が海上に浮かんでは息継ぎをするように眠る前には文学をむさぼり読んだという、おそらくそうした時間が松田作品の魅力につながっている。

キャリア女性への書簡の形をとった『女と自由と愛』は多様化していく女性読者への知性の贈り物のような一冊。2年半もかかったと記されていて、おそらく最も時間がかかった本のひとつだが分析は実に鮮やか。

晩年は心臓を患うも入院や治療は、断固拒否。かかりつけ医も「これから先生の死にざまを見せてもらいます」と覚悟をくくった。
「活字が読めるあいだ、ビデオが見られるあいだ生きていたい。一切空の虚無であるだけ、人間の想像したもので埋めていきたい。それを可能ならしめる自分の命、それは私だけのものだ」(『幸運な医者』より)

幸せな医者、であったことは間違いがないのだと思う。大学時代、松田道雄は啄木のこんな詩のような未来を、医者をやりながら余暇には本を読むという生活を夢想して楽しんでいた。
「場所は、鉄道に遠からぬ
心置きなき故郷の村のはずれにて選びむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構え、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても
広き階段とバルコンと明るき書斎・・・・・
げにさなり、すわり心地のよき椅子も」
思いどうりの甘やかな暮らしを何十年も楽しんで、松田道雄は21世紀になる直前、90歳の初夏に発作を起こして自宅で亡くなった。

『ひとびとの精神史』第3巻(岩波書店、全9巻)中「『政治の季節』の日常感覚」の一部になるもののアウトラインです。写真の、地がブルーのパンフレットは『育児の百科』が発売された当時の宣材で大変貴重なものです。

今回は育児に焦点を当てます。ただし振り返れば育児ばかりなく、女性の生き方、都市化と地域、老い、安楽死など今日の課題についてあますところなく見事に論じていた松田道雄は、今こそ読み直したい人です。<>2015/07/07


遅咲きの松田先生

292『ひとびとの精神史』の松田道雄論にとりかかっています。
松田先生は『育児の百科』しか知らない方も少なくないですが実は約百冊の本を出しています。
コンプリートにはほど遠いけれど、おもな本を年齢を計算しながら並べてみました。
すると50代、60代から本格的な執筆が始まっていることがわかりました。こんなに遅咲きの人だったとは!
『私は女性にしか期待しない』は女性の労働について今こそ読みたい本でこれまでも強く支持されてきた岩波新書ですが、80代で、あのようにパワフルな、みずみずしい文章を書かれていたのです。70代後半で書かれた『日常を愛する』などそのほかの晩年の本も素晴らしいです。<>2015/07/01

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