白神山地のマタギ道を歩く

白神山地は「手つかずの自然が残されている世界遺産」として知られる。私もその言葉に惹かれて、青森看護協会の仕事のあと弘前から乗合バスに1時間ゆられて白神山地のある西目屋村に向かった。
けれど、その翌朝、白神マタギ舎でガイドしていただいた白神は、人が思慮深くその恵みをいただき、植物や生き物、動物たちを友だちのように思ってきた生活の森だった。山に入って生計を立てていた人がそこで山菜やキノコを見つけてうれしかったり、人恋しくなって寂しかったりしたあとは、例えば炭を焼いていた小さな窯だったりするのだけれど、それは私たちの目にはわからないほどつつましくて教えていただけかなければわからない。

ガイドをしてくださったのは、現役のマタギである工藤茂樹さん。マタギの人が多く暮らしていたが今はダムに沈んだ砂子瀬に生まれ、今も本籍に砂子瀬の地名を持ち続けているという。工藤さんと歩くことで、知らなければ「手つかずの自然だ、ブナだ、杉じゃない」くらいのことを言って終わったであろう森が、人が共に暮らしてきた世界に変わった。

白神に行こうと思っていろいろと調べた時に一番わかりにくかったのは絵地図的な観光マップ以外に地図が見当たらないのだ。やがて、そのわけを教えてくれたのが『白神の意味。』(自湧社)という一冊の本だった。

「白神山地の中でこの山の魅力について考え、隔絶感という言葉にたどり着いた。私たちが日常生活している産業化社会の文明からの隔たりがこの山の魅力であり、価値だと思う。
この山地の核心部では産業化社会の影はきわめて少ない。そもそも地図上に描かれるような道すらない。山岳地域に限らず、このような土地は日本やヨーロッパの先進諸国にはもうほとんど見られない。白神と並んで世界遺産地域に登録された屋久島でさえ、整備された登山道が縦横に走っている。・・・・私たちの白神山地の調査が本格化したのは昭和61年(1986)頃。谷をさかのぼり、しゃにむにヤブをこぐ調査だったが、昭和63年からはヘリコプターによる調査が可能になった・・・こうした過程で、白神山地で暮らす人々の生活にふれる機会が増え、人々がこの山地の自然資源をいかに利用してきたか、それがいかに高度の文化の域に達しているかということがわかってきた。
この伝統的な自然資源利用、つまり生活活動は、産業化社会のものではない。例えば、白神山地には地図に書かれた道はないが、マタギ道は縦横に走っている。しかしその道の多くは、経験的に自然知をベースに描かれたメンタルトレイルであって、踏み跡はない。鉈目すら希だ。マタギたちは、地図も磁石も使わずに、自分の記憶をたどって正確にこれを往来する。・・・」(『白神の意味。』序文)

しかし、林道建設のために伐採が計画され、その反対運動が起きたこときっかけに白神というところは突然有名になって世界遺産に登録された。そして皮肉なことに、世界遺産の指定はマタギの人たちにも狩猟や採集を禁じるもので、かつ、指定地域をはずれたところでは山の幸を乱獲する人たちを増やしてしまったという。こうして農耕以前の貴重な文化を生きていた人たちは、生計を立てることができなくなってしまった。

マタギ人たちが伝えてきた自然との共存は、実は、とてもはかないものだ。
工藤さんは一本のミズナラの木を悲しそうに見ていたのだけれど、その木かつては舞茸がたくさん出た木なのだという。舞茸は20代で出る木を見つけたら、その人がおじいさんになっても繰り返し出てきてくれてその人の生活を潤してくれる特別なキノコ。それは、マタギの人たちには、舞茸が再び出てこられるように採る技術があったからでもある。それがあるとき誰かが入ってきて舞茸を全部むしり取っていった。踏んではいけないところも踏んでしまった。その木には、もう舞茸は出てこなくなってしまった。
また他のところでは、木にナンバーが大きく書かれていた。一般の人間には山で生きてきたマタギのように森を記憶することはできないから、誰かが印をつけていったのだ。山に入る資格がない人たちのこうした行動がマタギの人たちを悲しませている。そのうえ、自分たちは長く、大切に守りながら採集してきたところに入ることができないのだ。
実は世界遺産に指定されたため採集が禁じられた地域ではキノコが増えすぎて木をだめにしてしまう現象も起きているという。食べて食べられる白神の生態系の中には、人間も入っているというのに。

マタギ道に、お借りしたスパイク地下足袋と軍手という装備で入る。斜面では草をつかんでも大人の一人や二人は大丈夫と教えてもらう。地面には去年木から落ちてきた落ち葉の絨毯とそこに生きる愛らしい植物や微生物たち。葉緑素を持たずに地面からの栄養だけで生きる全身が真っ白な花も咲いている。
マタギ道は見ただけでは道の存在はほとんどわからないけれど、歩いてみれば、そこは工藤さんたちが大切に守って来た道筋だとすぐにわかる。登山道と違って常に蛇行して進むのも特徴で、工藤さんは登山家がまっすぐ歩くことが不思議でしかたがないらしい。ブナの根は横に広がり、からまりあって、斜面を上り下りするときに安心して足を置ける段を作っている。人が作った階段と違って崩れることはない。うちの近所の坂にある、一部がくずれかけてみんなが怒っている階段などよりよほど安全。
谷へ降りて川を渡り、また登っていったところに、その昔大きな地滑りが形成した広々とした窪地が広がっていた。水を集めているらしくやわらかなシダが一面に広がっていた。
そこにカツラの巨木が立っていた。
今、写真を見返しても涙があふれる。工藤さんは、私がガイドをお願いしたときに書いた「人がほとんど入っていない森を感じたい」というわがままをかなえてくれた。ろくに体力もない、本来ならこんな所に来るに値しないかもしれない人間を決まった時間内でここまで連れてきていただくにはいろいろと考えてくださったのだろう。有難いとはこのことだ。

観光で何かにお金を払って、今回ほど価値を感じたことはかつてなかった。その土地の美しい宝物を見せていただき、立派な文化を教えていただいて、その方たちの生活を支えるため、宝物をこれからも守っていっていただくために、お金を支払わせていただく。それは喜びでしかなく、これがホンモノの観光というものだと思います。

私は今度いつ白神に行けるかわかりませんが、今日も美しい白神の森に、植物と動物と人の共存の森に、朝と昼と夜がめぐっていると思うだけでとても幸せな満たされた気持ちになります。

白神マタギ舎のスタッフの皆さんと、連日の大変なお仕事の合間をぬってこの体験を共にしてくださった健生病院産婦人科の齋藤美貴先生、日帰りもできた出張をもう一泊させてくれた家族に心から感謝します。

白神マタギ舎さんのウェブサイト

http://matagisha.sakura.ne.jp/home.html

日赤看護大の写真展打ち合わせ

5月22日(火)から6月4日(月)まで日本赤十字看護大学のラウンジで写真を展示します。念願の、学生さんに見ていただくという企画です。
打ち合わせに行って、大学の井村真澄先生と、同じ建物の中に在る助産師学校の萩原先生のツーショットを撮らせていただきました。
学生さんの生活空間のなかでの展示となります。学外の方は、一階のカウンターに一声お声をかけてください。時間などの詳細は追ってお知らせします。

自分が生まれた「日赤産院」入り口の雰囲気を、いつもここで偲んでいます。よく似た門が家の古いアルバムにあるので。。。

「産婆」の時代からこの学校を見守って来た大きな松の木。

国際助産師の日写真展のお知らせ

5月5日はICM(国際助産師連盟 )が定めた「国際助産師の日」。この日にちなみ、授乳服専門店「モーハウス 青山ショップ」で、助産師を主人公にした写真展を開催することになりました。
スタートは5月1日で5月25日まで続きます。
テーマは「What is a midwife? 助産師とは何か」

展示する写真を準備しながら、私は、改めて、自分はこの深い問いを抱えて出産にのめり込んでいったのだということをまざまざと思い出しています。写真展ですが、写真をセレクトしながら、その答えを書くことにも取り組みました。
私が春に行ったニュージーランドでは、リスクの程度も出産場所も問わず、すべての妊婦さんに国費で「担当助産師」がつくとのこと。助産師がすべての妊婦さんのそばにいてほしいという思いから、今回は手術室から自宅までさまざまの場の写真を選び、歴史的変遷や海外事情にも触れます。
■国際助産師の日写真展@モーハウス青山ショップhttps://www.facebook.com/events/405570529907772/