父親を主人公にした動画を作りました

6月18日(土)は父の日。
わが子を迎える男性たちのスライドショーを作ったところ、3日間でFacebookでの再生が一万回を超えました。

初めてのお子さんを迎えるパパ、帝王切開に立ち会うパパ、3人目のお子さんを迎えるベテランパパなど5人のお父さんに登場していただいています。

ずっと、ずっとこんな動画を作りたいと思って来ました。お産をたくさん見ていると、男性が、外で会ったらわからないかと思うほど特別な顔をしているから。

今、巷では「育児の負担を女性にだけ押しつけてはいけないから、男性も育児に協力しよう」とよく言われていますが、そんな言葉より、お父さんには妻と共に子どもを迎える悦びを。その時、一緒にいる「時間」を。

そうすれば男性も赤ちゃんにさわりたくてしかたがなくなります。それが夫婦というものを形成して育児をするヒトという種の本能であり、負担でもなければ協力でもない、生きていく上での自然で主体的な行動です。

撮影にご協力いただいた中村さん、根津さん、東さん、上田さん、白須さんご一家、ファン助産院、長良医療センター、府中の森土屋産婦人科の皆さま、そして日本が世界に誇るスラックキーギターの名手、山内アラニ雄喜さんに心より感謝申し上げます。

you tubeにアップしてありますので、どなたも手軽にご覧いただけます。

🔷命の生まれる場から(1) 父の日メッセージ Father’s Day Message~  こちらから

2016~2017年に東京都と岐阜県で撮影。一緒にわが子を迎えられる家族がもっともっと増えますように。
Photographed in Tokyo and Gifu prefecture from 2016 to 2017. There are not many fathers that can take “paternity leave” in Japan, but we hope to have more families to welcome our children together.

小説デビューしました

突然ですが。小説デビューしました。

「私たちのD-syndromeベイビー」という短編小説で、発売されたばかりの『小説現代』(講談社)6月号に掲載されています。もちろん出生前診断のお話なのですが、おそらくこのことをテーマにした小説は世界的にも珍しいのではないでしようか???

出生前診断というと日本では「命の選別」という言葉が盛んに使われ、中絶の割合が大きく報道されてきました。「良いか悪いか」のバトルとして語られることが多いと思うのです。でも私は、この小説で、女性に「心の導くようにしてもいい」と伝えたいと思いました。ここでは二人の女性が出てきて違う決断をしますが、二人の心は結ばれています。

それにしてもまさか小説を書くとことになるとは・・・編集長に指示されたと依頼の電話をくださった編集者氏も電話口で「人生何が起きるかわかりませんね」と言っておりました。そのあと「でも河合さんの場合は参議院議員が衆議院に出るようにものだから」とわかるようなわからないようなことをおっしゃるので私も「そうですねえ・・・」と。最初はエッセイのお仕事で声をかけていただいたのですが、今まで書いて来たエッセイをいくつかお見せしたところ、このような話に。

構想を手探りで練ること2か月。そしてゴールディウィークに入るとすべてを投げ出してこれに集中し、お休みを全部使って一気に書きました。

ずっと前から、小説が書けたらなあということを思ってはいたのです。橋本治さん、天童荒太さんなど、小説家の方が私の本を参考文献に掲げることは少なからずありました。

そして、何といっても、人は昔々から、お話や絵巻やお芝居という形で共感し、感情を豊かに働かせながら、知識も考え方も共有してきたと思うのです。もっとたくさんの人に妊娠のことを知ったり感じたりしてもらえれば、という気持ちから、今回の仕事をお引き受けしました。

この作品は一気に書いたシンプルなものですが、ここには、『未妊――「産む」と決められない』以来、高齢妊娠を10年余り取材してきて私が自分の胸に落としてきたことが、ぎっしりと、自然に入ったような気がします。出生前診断だけではなく、生殖医療も出てきます。

テレビドラマ化された「ノーフォールト」(早川書房)などの小説で知られる岡井崇先生(愛育病院院長)に先日ご報告したら、すぐに「楽しいでしょう!」と言われました。本当にそのとおり。ですので、第二作にもチャレンジしたいと思っています。

このようなご縁をいただいたのは甘糟りり子さんの新刊プロモーションのお手伝いがきっかけでした。甘糟さんに、この場を借りて感謝申し上げます。

そして水戸川真由美さん、青木恵美子さん、松原未知さんをはじめとする取材にお力添えいただいた方々、私の処女作を力強くサポートしてくださったことを心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。おかげで、この小説には、『出生前診断』に入れられなかった、とても重要な情報――ダウン症がある場合、成人期にはどのような生活になるのか、ということも、紋切り型の「芸術家として才能を発揮している方もいます・・・」という話ではない形で入れ込むことができました。

そして、このお話は、地下には女性同士の友情が流れています。それも私にとってはとても重要なテーマです。

私は、妊娠・出産について違う結果になったり違う決断になったりしても、女性どうしは必ず共感し合い、つながり続けることができると思っています。

私はそんな素敵な友情で結ばれつつ、とても大変な妊娠を乗り越えた二人のお母さんに、まさに昨年の今日お会いして、忘れられない写真撮影をさせていただきました。お名前は挙げないでおきますが、この小説が生まれた背景にはこのお二人の存在があることも、ここに記しておきたいと思います。

 

小説現代のホームページはこちら

Amazonはこちらです。

私の、ここにひとつ増えた新チャンネルを、何卒よろしくお願い申し上げます。

自然出産の縁の下を支える

 

府中の森・土屋産婦人科を夜明けに出て、誰もいない桜並木で、三分咲きのさくらをながめてから帰りました。

先日、骨盤位経腟分娩の撮影をさせていだいたときのことです。

骨盤位は、逆子のこと。頭から生まれるのがお産の基本形ですが、逆子の子はお尻や時にはそのほかの部位、例えば足などからの小さい部分から生まれてきて、頭が出にくくなってしまうことがあります。そのため、現在、骨盤位の子は多くが帝王切開です。しかし土屋産婦人科では、安全性が高いと思われるケースでは、経腟出産を選択することができます。

今回撮らせていただいたのは、頭の次に大きい部位であるお尻から生まれる、一番生まれやすい逆子だった赤ちゃんの出産です。妊婦さんの東洋美さんと私はファン助産院で出会い、助産院で撮影にご協力いただく予定だったのですが、この逆子が理由で、連携医療機関である土屋産婦人科へ転院しました。

土屋産婦人科では特に問題がなければ分娩台も使わず出産できますが、逆子の出産は、しっかりと医療処置の行える分娩室でおこなわれます。骨盤位経腟分娩は、決して単に下から産むだけではありません。状況を細かく観察しながら万が一の事態を遠ざけるための手を次々に行っていく、経験と技術を必要とする医療です。

幸い東さんのお産は、実にスムーズでした。子宮口が開くまでは一時期陣痛が遠いたりして長かったのですが、全開後、赤ちゃんが入っている袋を針で突き、クッションになっていた羊水を抜いて陣痛促進剤の投与量も増やすと、一気に陣痛が強くなりました。最後は東さんもまったく違う陣痛が来たことがはっきりとわかって、「がんばれ」と声を出して大きな波に挑みました(あとでお聞きしたところ、この「がんばれ」は赤ちゃんに声をかけていたそうです)。

やがて、赤ちゃんのお尻が出てきました。足が全部出たところで土屋先生が赤ちゃんの腰をとらえ、そこからは大変慎重に、どこにも無理がないようにすうっと引いていくと、すんなり頭が生まれました。

東さんは会陰切開もなく、まったくの無傷で元気な赤ちゃんを抱くことができました。

「今回はうまくいったでしょう。いつもそう行くとは限らない」と、ここで言うことは簡単です。そうした言葉を、私は山のように聞いてきました。そして、それは、実際そのとおりではあるのです。でも、現実にまったく無傷のお母さんをまのあたりにして、私は、複雑な気持ちになりました。

骨盤位経腟分娩は帝王切開をしないことではなく、ひとつの「技術」だということがよくわかったからです。昔から産科の教科書にはさまざまな取り上げ方が載っています。帝王切開が安全に行われるようになったのは昭和後期ですから、それまでは、産科医も、また古くは助産師も逆子のお産には心を砕いてきました。

でも、帝王切開の安全性が高くなった今、その技術を使える産科医は減っています。それは若い医師が学ぶ場がないことを示し、まもなく、安全なタイプの逆子でも、女性は必ず開腹手術を受けなければいけなくなることを意味します。ちなみに、双子もひとりは逆子ということが多いですから、双子も必ず帝王切開ということになりそうです。

土屋先生は、助産院のバックアップをおこなっていることでも知られています。そこにも、骨盤位経腟分娩を続けていらっしゃることに相通じる何かがあるのでしょう。

骨盤位の経腟分娩も、助産院のバックアップも「縁の下の力持ち」的な、影から、自然なお産を支える仕事だと思います。労多くして・・・というところもあるかもしれません。でも、土屋先生には、お産の医療はつつましくあるべきで、かつ介助は助産師が中心であるべきだという確固とした哲学があります。

土屋産婦人科のサイトにある「院長の図書室」の「夫・父・男は何をすべきか」を見ると土屋先生は、父親の役割について母親との違いを理解することや距離感が大切なのだと述べて、それを「ちょっとしたハードボイルドなのです」と書いています。とても同感しますし、これこそ医師と助産師の関係に置き換えられるべき考え方でしょう。つまり、自然出産とは、ハードボイルドの美学を理解する医師によって支えられているものだということです。

土屋産婦人科の皆さま、この度は貴重な医療を見せていただき、ありがとうございました。そして東さんご夫婦に感謝申し上げます。洋美さんの瞳に、乾杯!

 

写真はお誕生のあと、ご家族が助産師さんと喜び合っているとき、黙して経過観察を続けている土屋先生。

 

 

※分娩経過は私の目から見たものです。

 

 

ムクの木の身体

冬至の頃に早朝歩き始めたコースから神社が見えていて、朝がだいぶ明るくなってきたので初めてお詣りしました。樹齢三百年のムクの木。根元から見上げるとまるで人体のようだ。年老いてなお元気な方の身体に入ったら、こんな感じなんだろうか。

 

プレミアムフライデー

 

昨日はプレミアムフライデーなるものが始まりましたが、どうだったんでしょう。
私は2〜3年くらい前にふと突然に思いついて、「金曜日の会」というものをたちあげたことがあります。金曜日はできるだけ早く仕事を切り上げて、知らない町やお店に行ったり、映画に行ったりする。会員は2名限定、つまりなんてことない、3人の子の子育てと仕事しかしないで生きてきちゃった夫婦が、なんかちょっとめんどいんだけれどもちょっとは遊んでみたらどうなんだろう?という試みでした。われながら素晴らしかったのは、これを、プロジェクトとしてちゃんと命名したことです。
あの時、何故そんなことをおもったのか、よくわかりません。でも、最後の子も大学に入ったころだったし、ふと、あっ、変化を起こさなきゃダメな時が来た!と感じたのかもしれません。
このプロジェクトは私の人生に風穴を開けてくれて、写真展にも行くようになり、今思うにカメラマン復帰の前章になったと思います。
というわけで、オススメです、プレミアムフライデー。別に、どの金曜日でもいい。

 

授かりたい女性たちの朝学@茅ヶ崎

 

茅ヶ崎市の男女共同参画推進事業のひとつとして、このところ毎年駅前の男女共同参画推進センター「いこりあ」で講座を持たせていただいています。今年もいつものように、春が兆す2月の土曜日の朝、日差しがいっぱいの相模線に揺られて茅ヶ崎に行ってきました。

不妊治療をすでに始めている方もいらしたけれど、まさに今始めようとしている方も少なくなかったようでした。そこで、何人もの方が切実に困っていたのは「病院選び」です。「すみやかに受診しましょう」「専門家に相談してください」という言葉が医療記事にはあふれているけれど、患者さんにはここが大問題です。

病院にかかるということは「初診」という形をとることになり、検査が直ちに始まったり、時には気が付いたら治療も始まっていたという人もいます。「本当に、ここで治療を始めてよいか」を考える時間が、どの病院にかかる人にももてたらいいと思います。

また、不妊治療をすべきかどうかを迷っている人もたくさんいます。子どもが欲しくても、夫婦だけの生活がいやかというと、そうでもない人もいます。2人目、3人目の不妊となればなおさらのことです。

自分のたちの状況をあれこれ話して、不妊治療、するかどうか決めたい!するなら、どこの病院で、どんな治療をすれば妥当なのか決めたい!・・・と思っている方はとても多いと思います。

新型出生前診断は、検査の前に必ずカウンセリングを受けることが義務付けられています。そのカウンセリングの日は検査をしません。

助産院も、初診の前に「お話」だけの時間をもうけているのがふつうです。そのうえで、「やっぱり助産院で産みたい、それも、この助産院で」と決めた人は後日初診の予約をとります。

不妊治療も、そのようなシステムになってもよいほど「覚悟」の要る、大変なことではないでしょうか。

 

 

「篠山紀信展 写真力」

講演が重なっていた状況が一息ついて写真展へ。篠山紀信氏の巨大な写真群と2時間過ごしました。篠山さんは、いったい何人の人を最期もしくは引退まで撮り切ってきたのだろうか。

写真一枚一枚の完成度は言わずもがな。そして、見せ方も一部屋ずつに意表をつくものがありました。それも光を使って「写真的」に。

最後にこれまでの写真集をセレクトした説明ボードが並んでいたのも、篠山さんが1人の写真家として考えて来たことが垣間見えてとても面白かった。「激写」など軽くも響く造語が作られてきた影には、たくさんの思索や旅、伝統芸能への情熱が隠れているのだと知った。

写真の自由、写真の力について大いに励まされた気がして、今朝は写真展のあの空間の中にまだいるようなすごくいい気持ちで目覚めた。

 

シニア層の力

 

1月は中学校の体育館で十代と向き合って帰京した直後から、2週間、今度は大半をシニア層の方が占める生涯学習の場でお話ししました。

かわさき市民アカデミーという学習施設にうかがったのですが、ここは驚くべき魅力的な講座がずらりと並んでいて、おそらく全国でもこれほどのところはそうないのではと思われます。その充実ぶりもあるのでしょうが、話を聞いてくださる方たちの目の輝きに私は今回びっくりしました。講師とのやり取りや資料の準備なども、「世話人」と呼ばれる一部の受講生がボランティアで担当してくださるのです。好奇心を失ったときに人は老いると言われますが、好奇心がくすぐられる環境があれば本当に、心は老いないのだと思いました。それは、身体にも必ずや良い影響があると思います。

シニアの活躍は女性の活躍とよく並び称せられますが、子どもを産んだ女性が活躍するのは本当に大変なことです。そこについては、時々胸がひりひりと痛むこともあるのです。ですから、シニアの方たちの活躍には本気で、もっと期待したいです。

私の講義は「広がる生命科学の世界」という全12回シリーズの中の2コマで生殖補助医療・出生前診断を扱ったのですが、ほかの講義はそうそうたる顔ぶれの先生方がもっと身近なお話をされていました。それなのに、「妊娠」の話を乗り出すように聞いてくださった参加者の皆さんに感謝です。妊娠環境は、国民全員に作っていただくものですから。

 

滑川市の中学校で、再びお話ししたこと

 

かつての北陸本線を走る「あいの風とやま鉄道」を滑川駅で下車。ホームから、早速、うれしい看板が目に入りました。「さすが、私を二度も呼んでくださった町!」と思わず思ってしまいました。

最近、多子世帯への育児支援として「第三子の保育料を無料にする」という政策が始まってきて、中には滑川市のように2人目の無料化にも踏み切る自治体が出てきました。でも、これらは例によって所得や第一子の年齢などに制限があるのが普通ですが、滑川市が始めたこの支援は所得制限も、上の子どもの年齢制限もない、とこの駅の看板に書いてあるではありませんか。

私がここに来たのは二回目で、昨年もちょうど同じ時期に滑川に来ましたが、その時は、この政策はありませんでした。その時は早月中学校というところで全校授業をおこなったのですが、今回は、市内のもうひとつの中学校である滑川中学校に呼んでいただき、それがこんなうれしい始まりだったのです。

この町にとって今年最初の積雪となった朝、滑川中学校に行くと、中学の体育館には巨大なストーブが何台も燃える音が響いていました。私の話のタイトルは「未来のパパ・ママたちへ 今、知っておいてほしいこと」で、このような内容でした。

今回、市の方に講演の写真を撮っていただいたので数枚貼ります。これは、私の自己紹介の一部で「私は普段こんな記事を書いているんだよ、今、30代くらいの女の人はこういう心配をしている人が多いんだけれど、聞いたことある?」という話をしています。

当然、中学生の子どもたちは「キョトン」としています。そう、私でもこれくらいの時は高校より先のことは想像できませんでした・・・。でも、人は必ず、生きていれば齢を重ね、そしてやがて死を迎える。

その時までに次世代を残すという「継いでは消える」の繰り返しが命の性質なのだということを最初にお話しします。それから、本当は理科でしっかり教えておくべき生殖細胞のサイエンスや、不妊の社会問題としての側面も話します。

そして最後は、わが子を迎えるときに人は(男性も女性も)一体どんな顔をするものかを伝える写真の数々をお見せします。これは私の仕事に賛同して健診や分娩を撮影させてくださる何組ものご夫婦、そして医療者の方々のご協力があってできていることです。

授業が終わったら、子どもたちは感想文を書きます。どんなことを書いてくれるのでしょう。

今からしばらくは、私が話したことを忘れ去ってくれてもいい。当然、そうなることでしょう。でも、私もそうだったように、学校で習ったことは、人生のずっと先に、ふっと思い出されてくるものです。そんな瞬間を夢見て、私は、呼んでいただけるのであればもっともっと多くの学校に行きたいと思っています。

滑川市とのご縁はまったくの偶然です。上田昌孝市長が移動中、車のラジオから私のトークがたまたま流れたのです。市長が本気で「子ども第一主義」を掲げ、全国的に見ても先進的な育児支援政策を進めようとしていた矢先のことでした。

今年の滑川市では現実によい育児環境がハイピッチで整いつつあり、保育無償化のみならず産後ケアもスタート、そして市有林の杉をたっぷりと使った木きな児童館もできていました。

靴を脱ぎ素足で中に一歩入ると、吹き抜け空間には木の香がたちこめ、子どもたちはアスレチックを飛び回っています。ここがあれば雪に閉じ込められる富山の冬もOK!なので、子どもたちは周辺の市からも遊びに来るそうです。

午後は一般向けの会を行いふたつの講演を終えて帰るとき、吹雪く玄関で雪まみれになりながら、上田市長や教育委員会の方々は「またどこかで会えるかな」と言って見送ってくださいました。心の通い合う仕事は人生の贅沢です。

富山駅までの車中から。田んぼの上に降り積もった一面の雪。

これから滑川は、春まで雪との暮らしになるそうです。

 

漁港で夜のとばりが下りるまで

富山県滑川漁港にて。講演日の天気予報で大雪警報が出たので前泊し、漁港まで歩いてみました。急流が運んできた石が形成している「礫浜(れきはま)」だと去年教えていただいた浜です。iPhoneで、波が石を鳴らす音も録ってみました。